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Dandelion

HP「Dandelion」のブログ。 小説、絵、日記、…などなど、気ままに更新します。

こんばんは、朔元です。
めちゃくちゃ久しぶりに小説なんぞ書いてみました。
小説サイトです!すみません!

「Genesis」という読みきりです。
前にちょっと載せたオフィスラブの続きです。

思ったよりぜんぜん軽い話になりました。
重い話を書く体力と眼が残ってませんでした…。まだまだ本調子じゃなさそうです。
サクッと読める話になったかな、と思います。
当初はもっとしっとりとした話だったんだけどな…濡れ場(ただし省略)もあったはずなんだけどな…
かなりライトな話なので、気楽に読んでいただけると嬉しいです。
推敲してないのでえらいこっちゃかもしれません…orz

追記からどうぞ。

「さよなら」
 予感がした。ここで見送ればもう、彼女は戻っては来ないんじゃないかって。
 止めればいいのか、見逃せばいいのか。みっともなく無様にすがって泣き叫べばいいのか、つまらないプライドに従って笑顔を作ればいいのか。どれを選んでもあまりに滑稽で、俺にふさわしいように思えた。でも今俺は、そのどれもを選べずにただ立ち尽くしている。もう最後になるかもしれない彼女の背中を見ている。
「また明日――」
 明日なんて来ませんよ。ねえ、そんなことはアナタが一番よく知っているでしょう。





―Genesis





 入社式で先輩に恋をした。一目惚れだった。
 ほっそりとしたシルエット、ゆるりとアップにした髪、伏目がちな大きな瞳、どれをとっても目を奪われずにはいられない。数日間その姿を追っていると、ぼんやりしているようで仕事はとんでもなくできるということがわかった。そのわりにあまり目立ってはいないのは、大人しいキャラのせいかもしれない。好都合だ、みんなあの人の可愛さなんて気付かなければいい。誰の注目もやましい視線も浴びせずに、俺だけのものにしたい。
 まぁ、まだ付き合えるかどうかもわからないわけだが。しかし同じ部署に配属された時には運命を感じずにはいられなかった。彼女の好きなところなんて、挙げきれない。
「千秋くん」
 名前を呼ばれるのが好きだ(今まで女の名前みたいで嫌いだったけど)。
「ねぇ聞いてる?」
 ちょっと怒った時に上目遣いで睨んでくるのが好きだ(怒られてるのにこういうのも不謹慎だが)。
「おつかれさま、がんばったね」
 一日の終わりに必ずねぎらってくれるのが、好きだ(ああ、とんでもなく)。
 どうしよう。もう一年になるっていうのに、ますます彼女を好きになっていく。三つ年上の、可愛くて綺麗な俺の先輩。榛名さん。仕事ができて気配りもできて、でもちょっとだけ抜けている、大好きな人。
 ああ。俺だけのものに、したい。



「榛名って彼氏いるって知ってた?」
 思わず口の中のものを噴き出すところだった。つとめて平静を装うと、隣に座っている先輩の顔をまじまじと見る。ちなみに榛名さんと同い年の先輩だから、彼女の話がたまに聞けたりしておいしい。だが今回の話は予想外にも程がある。
「えっと、先輩、なんて言ったんですか」
「だから、榛名って彼氏いるらしいって。意外だよな、可愛いけど大人しいから、いないのかと思ってた」
「ど、どこの誰ですかそれ」
「ん、なんか地元の幼なじみとかで? 親も認めてるとかなんとか? うん、俺もよく知らないけど」
「誰かから聞いたんですか?」
「さぁ、女の子たちが噂してただけ。俺も榛名とは最近あんま喋ってないからなぁ」
「へぇー、そう、ですか……」
 冗談じゃない。
 まだ先輩にも誰にも、この気持ちは知られていない。確かめるなら自分で動くしかない。噂だけで信じられない、今までそんなそぶりちっとも見せなかったのに、あの人に彼氏だって?
 ああでも、どうして一年も経って、そんな重要な事実が出てくるんだ。
 居もしないカミサマを恨めばいいのか。そんなこと言われたって今更、こんな好きになっておいて、諦められるはずがないのに!



「本当だよ」
 榛名さんの答えは簡潔だった。
 思い切って会社帰りに誘った居酒屋。ガヤガヤと騒々しい店内でその声は特段大きいわけではなかったのに、イヤに脳裏に響き渡って離れなかった。
「彼氏、本当にいるんですか」
「うん、いるよ」
 何度聞いても答えは同じ。冷水を頭から思い切り浴びせられたように寒くてたまらない。
「……好きなんです、よね」
「うん?」
 しつこく食い下がる俺に、榛名さんはぱちくりと瞬きをした。いつも大きい目が更に丸くなって、そんな表情も可愛くて(ああ俺は、何をあたりまえのことを)。きょとんとしていた榛名さんは、やがてゆっくりと微笑んだ。小さな子供に諭すように。
「好きだよ。とても、大切なヒトだよ」
 その笑顔にドキリとした。そしてすぐに陰鬱な闇に呑まれる。何をバカみたいにときめいてるんだ。この笑顔もこのセリフも何もかも、俺に向けられたわけじゃないのに。
「そう、だったんですか」
 もう榛名さんをまっすぐに見られない。顔があげられない。テーブルの上で組まれた榛名さんの白い綺麗な手だけを見つめている。指輪はない。当然か、指輪なんてあったらとっくに気付いてたよ。彼氏がいるって知ってたら、こんな恋はしなかった。こんなに好きにならなかった。こんなふうに溺れる前に、アナタを諦める努力をしてた(さあ、本当に諦められるかなんて知らないよ)。
 苦しくて、息ができなくて、どうしようもなくて。でもこの気持ちを知られるわけにはいかなくて、仕方がないから笑ってみた。タガが外れたように笑ったら、案外あっさりと顔が上げられた。
「……いやー。あっはっは! 知らなかったですよ、榛名さんに彼氏がいたなんて」
「そ、そうだよね。恥ずかしいから、みんなには知られないようにしてたんだ」
「恥ずかしい? なんで?」
「うー、彼氏がいるなんて言ったら、みんなにからかわれるもん」
「あはは、まぁそんなカワイイ反応されたらからかいたくもなりますよ」
「可愛くなんてないよ、でもなんでかみんなからかいたがるの! 会社勤めする前もね、大学で彼氏ができたらすぐに広まって、すごいからかわれてたの。アンタは反応がおもしろすぎるって。ヒドイよね」
「そうですか? 少しくらいノロケて、幸せのお裾分けしてくれたっていいじゃないですか。減るもんじゃないし」
「そ、そうかなぁ」
「そうですよ。俺も、もっと早く知りたかった。……榛名さんの、彼氏の話」
「わ、私は、ぜんぜんおもしろい話なんてないよ。それよりほら、千秋くんモテそうだもん。彼女とかいるんでしょう?」
「いませんよ、そんなの。おもしろい話ができなくてすいません」
「あ、あぅ、そういう意味じゃ……じゃ、じゃあ、好きな人とかは?」
「……あー。次々と傷をえぐってくれますね、榛名さんは」
「いない、の? いるの?」
「さぁどうでしょう。でも少なくとも、俺は幸せじゃないですよ。榛名さんと違ってね」
 アナタとは違うよ。榛名さんには彼氏がいて、確かに側にはいないかもしれないけど、この空の下に間違いなくアナタを護り幸せにしたいと願う男がいるんだ。それはきっとこの上なく幸福な二人だ。宇宙を作る最小の単位は二人だという。二人の人間がいて、その間に確実な気持ちがあれば、それは一つの宇宙だ。世界なんだ。俺なんか土足で踏み込むことのできない、完成された世界だ。
「千秋くん?」
 大きな瞳が俺を覗き込む。
「どうしたの、具合悪いの……?」
 具合は悪いかもしれませんね。アナタのせいで。
「千秋くん」
 アナタの声が好きだった。
 でも今は、ああどこまでも鬱陶しくて仕方ない。その細い首筋ごと、喉笛を握りつぶしてしまいたい。もう二度と俺の名前なんか呼べないように。もしくは、最後に呼んだ名前が、俺の名前であればいいと。
「帰ります。お金はここに置いておきますね」
「え、あの、千秋くん?」
「今日は俺のおごりです。また明日」
 初めて俺から飲みに誘った。今までは榛名さんが、ちょくちょく飲みにつれてってくれてた。先輩と後輩だし、それが当たり前だったんだと思う。でも俺は嬉しかったんだ。どうしようもなく浮かれてた。いつか俺が彼女に奢ってあげるんだって夢想してた。それがこんな日になるなんて、こんな皮肉がまかりとおっていいんだろうか。運命はかくて残酷だ。
 駅の改札を通って、いつもの電車へ乗り込む。満員の乗客が煩わしい。よくこんな満員電車に乗る気になるよな、と他人事のようにごちた。朝起きて満員電車につめこまれて、仕事をがんばってまた詰め込まれて。これじゃ家畜か、よくてハツカネズミだ。
 数十分揺られて、ようやく降車駅に到着した。ぎちぎちと人の波を縫って出口へ向かおうとすると、後ろから声がした。思わず足をとめた俺は後ろの客の大迷惑になり、彼らは舌打ちしながら俺を追い越して電車を降りていった。俺はといえば、床に縫いとめられた足をどうしても動かすことができなかった。目の前でドアが閉まる。閉まるドアにご注意ください。言われなくても俺は、一歩だってここから動けない。
 ありえない声だったんだ。二度と聞きたくないとさえ願った声だった。でもその声が確かに――俺の大好きな響きで、呼んだんだ。
「千秋くん」
 って。
「あ……」
 振り向くと、そこには彼女がいた。間違いなく、さっき別れたばかりの彼女だった。ひどい言葉をかけて、一方的に居酒屋に置き去りにした、俺の好きな人だった。
「榛名、さん」
「千秋くん」
 ぼうっと目が合う。大きな瞳が綺麗だと思う。じっとそれに見入っていると、きらりと光が揺れるのが分かった。
「え」
 気付いた時には、ほろりと大粒の雫がこぼれていた。俺は顔面蒼白で大パニックだ。あの榛名さんを泣かせた。ふわっとした笑顔が好きで、もし付き合えたら大切に守っていきたいなんて思っていたのに、会社で涙なんて一度も見せたことのない榛名さんを泣かせてしまった。泣いてる顔も可愛いなんて一瞬でも思った自分死んでしまえ。
「す、すみません!」
 どうしようもなくなって、わずかな距離を詰めて抱きしめた。まるっきり衝動だった。我に返ってこれはまずいかなと思ったが、抵抗する様子もない。滑らかな黒髪は顎の下に大人しく収まっていた。榛名さんがいいなら、と自分に言い訳をして、さらにぎゅっと抱きしめる。これは浮気に入るのだろうか。遠恋中の女性を抱きしめるのは、いけないことだろうか。でも抱きしめたい。困ったら満員電車のせいにしてしまえばいい。離したくない。
 小さいな。そして細い。いい匂いがする。可愛い。このまま持って帰りたい。抱きしめたまま寝られたら、とても幸せな夢が見られそうだ。
 わかってる。その思考のすべてが打ち捨てられた流木みたいに無意味で、叶うはずのない妄想だと知っているけれど、それでも。
「……降りるね」
「え?」
「私、次の駅だから」
 いつのまにか三駅も進んでいた。胸元でもごもごと喋る声。顔は見えない。涙は止まったのだろうか。でもその前に、俺はちゃんと謝っていない。
「榛名さん、すいませんでした」
「なにが?」
「泣かせて……なんでかわからないけど、すいません。俺、すごい態度悪かったですよね」
「…………」
 そこにいたって、やっと榛名さんが顔をあげた。たった三駅分の距離なのに、ずいぶん久しぶりの再会のように思えた。潤んだ瞳にドキリとした。聞こえただろうか。あまりにも近くて、彼女のやわらかさを感じて、今すぐにでもキスできそうな距離。これは恋人の距離。本当なら彼女の遠恋中の彼氏が、居るべき距離だった。
 駅に到着して人の波が生まれる。もう離さなきゃいけない。この人は元々俺のものじゃないんだから、彼氏のもとへ返さなきゃ。ああでも、そいつはここにいないのに――。
 見つめっぱなしで何も言えない俺を見て、榛名さんの少しだけ紅い頬がわずかに緩んで、眉は困ったように下がった。やさしい笑み、やわらかな苦笑。形のいい唇がゆっくりと開いた。
「千秋くんなんて、嫌いだよ」
 まるっきりその笑顔からは、想像もつかない言葉だった。鳩にマシンガンを撃ち込むような規格外。
「え、ちょ……」
「さよなら」
「待って!」
 俺の側をすり抜けて行こうとする彼女の腕をとっさに掴んだ。はっと驚いて振り返る頃には、ドアは既に閉まった後。閉まるドアにご注意ください。再び流れるアナウンス。安心してください、注意するまでもなく彼女は俺に阻まれて動けません。
「もう一周しましょう」
 これは都合のいいことに山手線だ。心配しなくても、再び目的地はやってくる。
 案の定榛名さんはむくれた。でも残念、俺はアナタのそのすねたような顔が大好きなんです。痛くもかゆくもない。少しばかり人が減った電車の中、俺と榛名さんは再び向かい合った。さっきよりも心なしか距離がある。
「千秋くんのばか」
「バカとはなんです。去り際にそんなこと言われて、みすみす逃すほうが阿呆です」
「そんなことって?」
「とぼけないで。嫌いって言ったでしょう。なんなんですか、納得できない」
 榛名さんの顔は未だむくれている。本気で怒っているわけじゃないのはわかるけれど、本気で嫌っていないかどうかはわからない。肝心の部分が謎のままだ。だってしがない後輩の俺が憧れの先輩の気持ちを推し量るには、あまりに情報が少なすぎる。
「……嫌いは、嫌いだよ」
「なんで? 理由くらい教えてください」
「いやだ、って言ったらどうする?」
「明日からも同じ部署でやってくんですよ。こんな禍根を残すのは嫌です」
「そう、だよね」
 今度はしゅんと落ち込んでみせる。なんなんだ、落ち込みたいのは俺のほうだ。でも、何らかの理由があるのは確かなようだ。言いたくて言ったわけでもなさそうだし。
「ねぇ千秋くん。好きな人、いないの?」
「はぁ? なんでそんな話ぶりかえしてくるんですか。関係ないでしょう」
「いいから答えて、大事な話なの」
「俺の好きな人が?」
「そう」
「どうしてもですか」
「そう、どうしても」
 強い瞳で見つめられると、何も言えなくなってしまう。榛名さんはふわっとしているようで、一本芯が通っている女性だ。こういう時は引かない。それは経験的にわかる。
「……いますよ、好きな人くらい」
 仕方ないから白状した。こうなりゃヤケだ。しかし榛名さんはからかうことはなく、真剣な顔のままだった。笑い飛ばされると思っていたわけじゃないが、これはこれで不自然な反応だと思う。
「その人のこと、気になるの?」
「その人って、俺の好きな人?」
「そう」
「……ええ、そうです。っていうか、好きです。大好き。もう気になるとかいう段階じゃないですよ、完全に」
「本気なんだね」
「どうしようもないくらい。おかしいですよね、今までだって付き合ってきた人はいるのに、こんなふうに好きになったことはない。こんなに何を投げ打っても構わないだなんて、こんな風に想うこと、なかったんですよ」
 一目惚れなんて言うと聞こえが悪いかもしれない。でも俺、間違ってなかったと思ってますよ。アナタを知っていくうちに、俺の直感は正しかったと確信した。それくらい俺の先輩は魅力的で、それにも増して俺はアナタを好きで。すぐにでも手に入れたくて仕方なかった。
 ああ、そうだ。この気持ちには嘘がつけない。もう手に入れるのは無理だとしても、榛名さんが好きって事実は変えられない。
 なんで自分の気持ちなのにうまくいかないんだろう。諦められたらいいのに。スイッチをオフにするように、キレイな思い出だけ残して、この行き場のない気持ちだけどこかへ捨ててしまえたらどんなにかよかった。
「――私もいるよ、好きな人」
 何を言うかと思えば、榛名さんが放ったのはそんな戯言だった。くそ、ノロケ話なんて聞いても辛いだけだってのに。適当に話題をそらそうとして、俺は目を瞠った。どうせ幸せそうに笑っているんだろうと思った榛名さんは、苦しげなひどく不器用な笑顔を見せたから。いや、これは笑顔なんて呼べる代物じゃない。必死に口角を上げて、それらしく見せようとしているだけ。
「榛名さん?」
「……好きなの」
 ねぇなんで、そんなふうに俺を見るんですか。
「なんで……」
 いつの間にか縮まった、こんな恋人の距離で俺を見上げないでください。勘違いするから。勘違いしていいって思ってくれたって、都合のいい思い違いをするから。
「……あっ」
「彼氏ですよね?」
 頬を挟んで顔をあげさせる。こんな距離、俺だったら許さない。遠恋中の彼女が男にこんなことされてたら、確実に浮気認定で半殺し。もちろん相手の男をだ。そんなことを思いながら、都合のいい俺は榛名さんを離すことができない。だってやっとこんなところまで降りてきたんだ。手の届かない存在だと思ってた、彼氏がいるって諦めてたこの人が、こんな息のかかる位置にいるんだ。
 この距離はどういうことなんだろう。抱きしめてもいいって、そういう勘違いをしていいんですか?
「好きなのは、彼氏ですよね……?」
 期待と不安で心臓が破裂しそうだ。喉元まで暴力的な衝動が出かかってる。今すぐに電車を降りて問い詰めたい。壁際に押しつけて、逃げ場をなくして、その細い首筋にかみつきたい。何を思って俺をあんな瞳で見上げたのか聞きたくてたまらない。
「好きなのは、……」
 聞こえない声。小さな唇。早く声が聞きたい。俺の大好きな声が。
「答えて」
 榛名さんの目が泳いだ。あともう一押しなんだ。この人の本当の気持ちが聞ける。それが俺の望む答えでもそうでなくても、やっと同じ目線で、彼女の気持ちが聞けるんだ。
 一駅、二駅、三駅過ぎた。じれったい。でも耐えた。どうしても彼女の口から聞きたかったから、じっと耐えた。きっと彼女の頬をはさんでいる手が汗ばんでいるだろうと思った(ああそれにしても、この人の顔はひどく小さい)。
「……なんでもない」
 どれほどの時間が経った頃だろう。ふっと微笑んだ榛名さんが口にしたのは、とんでもないセリフだった。
「え」
「やっぱりなんでもない。ヘンなこと言ってごめんね?」
「な、ちょっと待って」
「千秋くんが幸せのお裾分けしてくださいって言ったから、ノロケてみただけだよ。ごめんね」
「待って、俺の質問に答えてないです。とぼけないで。さっき好きだって言ったのは、彼氏のことですよね?」
「……うん」
「彼氏が好きなんですか?」
「そうだよ」
「ああそりゃそうですよね。地元の彼氏で、親も公認なんですもんね」
「うん。……そうだよ」
「そんな大好きな彼氏がいてよかったですね。心の底からハッピーエンドだ。ねぇ――じゃあなんで俺を見たんです。あんな目で俺を見上げたのはなんで?」
「あ……」
「居酒屋では『好きだ』って言った時、もっと幸せそうに笑ってた。なんでさっきは笑えなかったんです? どうしてあんなふうに俺を見たんですか」
「私、そんな、どんなふうに」
「わかってないんですか? ほんとに罪作りな人ですね。あんな熱っぽい目で見上げられて、黙って帰せるわけない。帰したくない」
「だっ……だめだよ千秋くん、やめて」
「やめない。ねぇ榛名さん、本当に彼氏が好きなんですか? 俺の都合のいい勘違いなら笑って。本当は彼氏のこと好きなんかじゃないんでしょう。さっき『好きだ』って言ったのは他の――」
「――やめて!」
 鋭い声にひるまされて、俺は言葉を飲み込んだ。顔を挟み込んでいた両手がパシンと払われる。
「なんでもないの。私、彼氏が好きなの。……ヘンなこと言って、ごめんなさい」
 榛名さんが言葉を紡いだのはそれっきりだった。あとはうつむいてこちらを見なくなって、沈黙が降りるだけ。残されたのは一歩分の距離。手を伸ばせば抱きしめられるのに、そこには目に見えない大きな隔絶が残されていた。
 しばらく燻った熱をもてあましていた俺は、だんだんイライラしてきた。なんなんだ一体。どうしてだよ、さっきはあんなに近くで俺を見つめてくれたのに。あのまま俺のことを好きだと言ってくれそうな熱っぽさで、抱きしめても許してくれる寛容さで、もしかしたら俺の気持ちを受け入れてくれそうなやわらかさで。期待するだけさせておいて、今度は掌を返したように拒絶する。理不尽な苛立ちなのはわかってる。この人はなんら悪くないし、間違ったことは何一つ口にしていない。現実はそう上手くいかないってわかってるけど、でも、この煮え切らない態度はあまりにも誠意が足りなくないか?
 そうだよ、さっきのあれは明らかに、俺に好意を持っていてくれている風だったのに。
「……もっと幸せそうにしろよ」
「千秋くん……?」
「そんな隙だらけじゃ、ハンパに期待して、苦しいだけです」
 もっと俺を絶望させろよ。俺の手の届かないとこにいるんだって思い知らせればいい。こんな、こんな切なげな顔させるなんて耐えられないから。抱きしめたくなるから。すぐにでも俺のものに、俺だけのものにしたくなるから。
 ――どうせ陥ちてはこないくせに。
 ブチン、と何か切れてはいけないものが切れた気がした。そっちがそういう態度なら、俺だってもうガマンしない。俺だって本気でいかせてもらう。
「ねぇ、教えてあげましょうか」
「え?」
「俺の好きな人」
 さっと彼女の顔が青ざめるのがわかった。
 ねぇ、知ってるんでしょう。今日これだけアナタに恋愛の話をふったんだ。俺の気持ち、とっくに気付いてるんじゃないですか? 知っていて白々しい演技をしたんですよね。一瞬でも俺に期待を持たせて、絶望につき落して。そんな俺を嘲笑ってるんですよね。
 どんなに気のあるそぶりをしたって、結局俺のものにはならないくせに。
「だ、だめだよ」
「なにが?」
「そういうのは……だめ」
「場所が悪いですか? それとも相手? 好きな人をぽんぽん教えるなんてダメとか、そういう話ですか。ああそれとも、俺の想い人にはもう恋人がいるからダメって?」
「うー、千秋くんっ」
「――場所は我慢してください。相手は間違ってません。恋人がいるなんて今日初めて知ったから、これくらいゆるしてください」
「だめだよ……っ」
「好き――」
 ごめん、言わせて。榛名さんの戸惑いも吐息もすべて包むように、ぎゅっと抱きしめた。顔なんて怖すぎて見られなかったから、強く強く。
「好き、榛名さん好きです。初めて出会った日からずっと、アナタのことばかり見てた。アナタ以外と幸せになるなんて考えられない。ずっとずっと好きだったんだ」
 熱っぽい息に任せて、言葉は不思議なほどするりと滑りでた。
 不思議ですよね。一年間も臆病になって何も言えなかったのに、今日に至ってやっと告げられるんだ。もう望みがないってわかってはじめて言えるなんて、草食系男子と全人類から鼻で笑われても仕方がない。もうすべては無駄かもしれない。でも言いたかった。
「すみません、自分勝手で」
 またアナタをこんな風に泣かせて、ごめんなさい。
「ごめん……泣かないで」
「うー……」
「好きです。心から」
「千秋、くん」
「だから泣かないで。安心してっていうのもヘンですけど、もう二度と言いません。ちゃんとこの気持ちは封印するし、会社でも今まで通り普通に接します。もう二人で飲みになんて誘いませんし、二人一緒に残業するのもなるべく避けます。あ、でも、遅くなる時は送っていかせてください。それだけです。だから榛名さんもなんも気にしないで、同僚として一緒に仕事してください。って、あはは、こんな無礼を働いておいて虫のいい話ですけど……」
「……千秋くんの、ばか」
「す、すみません。おわびにちゃんと家まで送ります。……う、それはおわびにならないか?」
「ばか。ばかばかばか」
「ちょ、ちょっと。そこまで言わなくても」
「でも好き」
 空白。榛名さんは泣き顔も綺麗だとか、そんなあたりまえのことすらガラリと頭から崩れ落ちた。あまりにも完全に時が静止した。今この人はなんて言った?
 そんな凍りついた時間を溶かしたのも、やっぱり榛名さんだった。涙をぬぐっていた俺の掌を、そっと彼女の両手が包みこむ。
「……やっぱり、言わなきゃよかったね」
「あ……」
「言わずに終わるつもりだったのに。全部私の中で殺してしまうはずだったのに」
「榛名さ、ん」
「でも、言わずにはいられなかったよ」
 なんて顔で微笑うんだろう。ぜんぜん上手く笑えてない。そんな健気な表情――抱きしめたくなるにきまってるのに。
「ごめんなさい、よく……わからなくて。もう一回言ってください」
「言えない」
「お願いします、榛名さん」
「忘れて。もう一回なんてない」
「頼むから……」
 満員電車にかこつけて細い身体を抱きしめる。信じられないくらい鼓動が早い。煩いな。今はこの人の吐息ひとつ聞き逃したくないのに。
「言って」
「……ずるいよ」
「ずるくたっていいです。アナタに好きでいてもらえるなら、どんな卑怯なことだってできる」
「ずるい……」
「言って。これ以上期待させないで。無理なら……突き放して、いいから」
 もちろん良いわけないけど。こうでも言わなきゃカッコ悪い。だって相手は、とんでもないことを言ってる。倫理も道徳も、どれをとっても良しとされない答えを――俺のために口にしてくれている。
「アナタが好きですよ。すごく好き。……ねぇ、榛名さんは俺が好き?」
「……好き…」
 どうしよう、嬉しい。可愛い。何度言ったって足りない、なんだこの可愛い人。ためらいがちな声とか、震える手とか、ぎゅって俺の背中にまわされる手とか、全部全部。
 ああ、世界で一番この人が愛おしい。愛してもらわなきゃ愛せないわけじゃないけど。愛されたのならもっともっと愛せるのが人ってもんだろ。だって宇宙の最小単位は二人だ。宇宙は膨張して広がる。アナタがこっちに振り向いてくれたのなら。
 いつの間にか空いていた席に二人で座ると、榛名さんはぽつりぽつりと語った。どうして俺を好きになったのか、どういうところが好きなのか。少しずつ、ゆっくりと、かみしめるように紡いでくれた。
「……ずっとずっと、気になってたよ」
「俺のこと?」
「うん。いつも仕事一生懸命で、残業でもすごく助けてくれて……私の教えること、すごく素直に聞いてくれたよね。うれしかった。女だからって一度もバカにしないで、うんうんって聞いて、励ましてくれて」
「そんなの、俺のセリフです。何度アナタに助けられたか知れない」
「ううん、私のセリフだよ。いつからか、目で追ってた。千秋くんが部長に叱られてるとハラハラして、ほめられているとうれしくなって。おかしいよね。千秋くんと一緒になって、喜んだり落ち込んだり。なんだか、……恋をしているみたいだった」
 そうして榛名さんは、すっと座席から立ち上がった。くるっと振り返ると、くしゃりと顔をゆがませて、苦しげに笑った。
「……好きになっちゃいけないって、わかってたのに」
 ガタン、とひと際大きく車体が揺れた。
 じっとうつむいた榛名さんは、様子がおかしかった。何かに怯えるように震えて、こちらを見ようとしなかった。もう一度抱きしめることはできなかった。この榛名さんのせっかくの告白を踏みにじってしまいそうで怖かった。
 だからやさしく右手を握った。極力怯えさせないように、小さく呼びかける。覗き込んでも彼女の表情は分からない。
「榛名さん?」
「私、私ね」
「はい」
「……来週から地元に転勤するの」
 ぎしり、と音を立てて笑みが歪んだ。来週だって? 転勤? 地元に? 思わず立ち上がっていた。今日は金曜日だから――来週の月曜日から転勤だとするとあと、二日しかない。
「明日送別会なんだ。ごめんね。みんなには帰りがけに教えたんだけど、千秋くんにだけは、どうしても言えなかった」
「え、ちょ、待って」
「地元で結婚するの」
「……嘘、ですよね?」
「彼は本当にいい人だよ。だから、幸せになるね?」
 電車がもう何個目かわからないホームに滑り込む。榛名さんは迷うことなくドアへと向かった。ああそうか、ここは榛名さんが降りる駅だ。もう一周してしまったのか。
「虫がいい話だけど、今日のことは忘れてほしいな」
「はる……」
「本当は一回だって、伝えちゃいけない思いだった」
 行ってしまう。
「さよなら」
 予感がした。ここで見送ればもう、彼女は戻っては来ないんじゃないかって。
 止めればいいのか、見逃せばいいのか。みっともなく無様にすがって泣き叫べばいいのか、つまらないプライドに従って笑顔を作ればいいのか。どれを選んでもあまりに滑稽で、俺にふさわしいように思えた。でも今俺は、そのどれもを選べずにただ立ち尽くしている。もう最後になるかもしれない彼女の背中を見ている。
「また明日――」
 明日なんて来ませんよ。ねえ、そんなことはアナタが一番よく知っているでしょう。
 ひどくスローモーションのように見えた。榛名さんの背中は、人波にのまれて、少しずつ隠されて消えていくようだった。いや、事実そのまま消えるつもりなんだろう。俺にほろ苦い棘を残したまま、彼女は遠い地へと去ってしまう。
 そんなのは嫌だ。こんなうれしいことがあったのに、世界で一番うれしいことがあったのに、こんなすぐに手放さなきゃいけないなんて嘘だ。
 俺は最後まで足掻くべきだ。愛する人に愛してもらえるなんて、天文学的な奇跡が起こったのならば、その可能性を手繰り寄せる努力を最後までしなきゃいけない。でなきゃ失礼だ。とてつもないリスクを冒して俺に打ち明けてくれた――彼女の精一杯の勇気に報いなきゃいけない。
「榛名さん……っ」
 みっともなくすがった。やっと硬直した身体が動いて、閉まりかけたドアに駆けて――そして、途切れた。俺の目の前で、ドアは無情にも閉まった。
「榛名さんッ!!」
 聞こえるはずがない。でも叫ばずにはいられなかった。振り向いてほしかった。ほんの髪の毛の先ほどの可能性でもいい、すがりたかった。彼女が俺のほうを振り向いて、微笑みかけてくれる、そんな奇跡を。
 俺のたったひとつの、傲慢な願いは。
「はるな、さん……」
 無情な発車ベルと共に、砕けて消えた。



 ――人生で最もブルーな月曜日を迎えた。
 榛名さんは今日から俺の世界から消えた。それでも地球は、朝を迎え何事もなかったように回っている。いっそすがすがしい。己の非力さを否応なく実感し、起き上がらざるを得なくなる、そんな朝。
「……はぁ」
 送別会なんて出られなかった。今日から俺は、大好きな人を諦めるための長い長い時間を過ごしていく。
 誰よりも奇跡を信じなかったのは、俺だ。あの時すぐに駆けだせばあの人を抱きしめることができた。もう一度山手線を回ることだってできた。そうしなかったのは、俺が臆病者だったからだ。奪ってしまいたいとか思っておきながら、他人のものに手をつけるのを恐れていたのは、他でもない俺自身じゃないか。
「おはようございます」
 変わらない会社の風景。
「よう、シケた面してんな」
 変わらない隣の席の先輩。例の榛名さんと同期の先輩だ。じとりと恨みがましい視線を向けると、おー怖いととぼけて見せた。
「シケた面にもなりますよ……」
「ほぉ、想い人が転勤になってブルーマンデーってか?」
「なっ……え!? なななな、な、なんで知ってるんですか!?」
「はぁ? ……ぷっ、あっはははは! まさか気付かれてないとでも思ってたのかよ」
 真っ赤になって口をぱくぱくさせる俺の周囲で、みんながくすくすと笑っていた。え、なに? 俺ってもしかしなくてもバレバレ……?
「嘘だろーーー!!?」
「いいえ、本当です」
 そんな俺の後ろから、たしなめるような女性の声。
 え、この声――。
「気をつけてくださいね、千秋くん」
 こつん、と俺の頭を小突くやさしい手つき。おそるおそる振り返ると、そこにいたのは……細くてやわらかそうで、とても可愛い、俺の。
「……榛名さ、ん…」
「うん」
 ちょっぴり恥ずかしそうに榛名さんは微笑んだ。嘘じゃない、夢じゃない。本物の榛名さんだ。どうしよう、泣きそうだ。じわりと浮かんできた涙を必死にかみ殺す。
「転勤、とりやめることにしたんだ。送別会も中止になったんだよ」
「ど、どうして……!」
「転勤自体あまりにも突然のことだったし、それに……」
 頬を赤らめて、ちろりとこちらを見つめる榛名さんが、殺人的に可愛かった。夢じゃない、ここにいる。俺の大好きな人は、まだ俺の世界に残っていた。
「もうしばらく、自分に素直になっていたいなって思ったから、ね」
 それって、…俺にもまだ希望があるってことなのかな。
 どうでもいい。アナタがいてくれるなら、俺の宇宙は間違いなくここにあるから。
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