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Dandelion

HP「Dandelion」のブログ。 小説、絵、日記、…などなど、気ままに更新します。

こんばんは、朔元です。
ふと思い立ったので、オリジナル小説の続きをあげたいと思います。

第1話の続きです。
シオンとリンがなぜ国境を越えたのか。2人の物語のはじまり。
私自身、ずいぶん昔の話過ぎて、どんな文章を書いていたかよく思い出せませんw

では続きからどうぞ。
 エルクにつれられてきたシオンとリンがたどり着いた先は、街のはずれから一時間ほど歩いたところにある小さな家だった。
 それも途中からは街道を外れた山道を歩かねばならず、到着した時にはもう日も傾いているころ。
「ほぇー……」
 シックな印象の家は、内装も外装もかなりの手間をかけてつくられたことが伺われた。
 煉瓦の壁や玄関の横に取り付けられたランプは、シオンには見慣れないものだった。田舎から都会へ出てきた少年よろしく、ぺたぺたと触っては歓声をあげている。
 エルクにはシオンがそれほど喜ぶ理由がわからないらしく、ことあるごとに首を傾げるばかりだった。
 それをリンが、「彼は見識があまりないから」とフォローにもならない台詞で収集する。
「シオン、あまり触って壊すなよ」
「わかってるよ。そうだ、エルクって何人家族なの? おっきい家だよな」
 エルクはほんの少し、回答を逡巡した。
「……いまは、ふたりだ」
「へぇ、ふたり暮しなんだ……ちょっと意外だな」
「だから部屋が余っていると言っていたの?」
「ああ、二階は三つも四つも余っているから。……入って。お茶くらいなら出すよ」
 エルクに促されて、玄関の敷居をまたぐ。
 玄関で靴を脱ぐよう言われて、シオンは不思議がった。
「なんで靴、脱ぐの?」
「シオン、ここの土地はそういう風習があるの。従って」
 エルクが答える前に、リンが早口に告げてしまう。
 中も落ち着いた色調だった。玄関マットのやわらかな感触に足を沈めながら、ぐるりとあたりを見渡す。
 壁も廊下もすべて木目調の壁紙――だとシオンは思ったのだが、どうやら本物の木が使われているらしい。
 珍しい。
 シオンの故郷では、過ぎた伐採により、樹木は貴重な資源だった。
 それがこんなに惜しげもなく使われているなんて、不思議だ。
 思い返せば、ここへくる途中の山道も豊かな緑にあふれていた。この家は、果てのない、まるで樹海のような森の入り口に位置している。
 ひょっとしたら、ここの近くはまだ自然が生きているのかもしれない。
 そう思うと、空気がとても瑞々しく感じられた。
「――――……」
 ふいに立ち止まったシオンに気付き、先を歩いていたリンも振り返る。
 リンは何も言おうとはしなかった。
 そうだ、リンはいつも深いところまで訊いてはこないひとだ。
 それは救いだが、彼女の捉えきれないところでもある。
「帰りたい?」
 リンが言う。
 どきりとした。見透かされてしまったかと。
 それでも、シオンは笑顔で首を振る。
「もう、決めたことだから」
 それはたった五日前の出来事。
 はるか昔のように感じられるけれど、たったそれだけの出来事だったのだ。

 それは五日前――暑い、夏の日。
 蒸し返るような草のにおいが、鮮烈だった。





+第2話 鋼鉄の監獄





『シオン! どこへ行ったの、シオンっ!』
 遠くで自分を呼ぶ声が聞こえる。
 シオンは得意げに笑いながら、鼻歌混じりに町を駆け抜けていた。
 あちこちから蒸気が上がる、金属と煉瓦に囲まれた町。工業の発展したこの国において、小さな町は大会社の下請けをすることで成り立っている。この町、エイルもそのひとつだ。

 この国においては、科学こそが絶対の技術である。

 小さなころからそう言い聞かされてきたこの町――ひいてはこの世界の子供たちは、それを疑うことを知らない。それどころか、国を疑うという行為そのものがわからないだろう。
 ただひとり、シオンは例外にあたっているのだが。
 ふと石畳の大通りからあたりを見渡すと、町の中心にある工場群の中で、ひときわ大きな工場が目についた。
 今日は、朝からあの工場で手伝いをさせられる予定だったのだ。
 あくまで、もう『だった』だけの話。
 もちろん、不孝者ではないシオンは、たびたび仕事を手伝っては、感謝される毎日を送っている。
 しかし一日中束縛されるとなると話は別だ。
 遊びたい盛りのシオンは、いつものように脱走計画を企てた。
 ――その結果は、この通り。まんまと成功したというわけである。
 シオンに味を占められては困る大人たちがあれこれと手段を講じても、シオンは必ず抜け道を見つけ出して逃げ出してしまう。終わらないイタチごっこが続いていた。それはシオンが物心つく前から、ずっとだ。
 シオンはちらりと視線だけ振り向かせて、誰も追ってきていないことを確認すると、建物の間の細い路地に入った。放置してあった樽に腰かけると、一息つく。
 ここなら、絶対に見つからないだろう。
 町全体がシオンの庭だ。誰も知らないような隠れ場所を、彼はいくつも知っている。
 それこそが、シオン最大の武器だった。
『さて、と。今日はどうしようかな』
 いざ抜け出したはいいものの、それより先のことをあまり考えていなかった。
 あまり人目につくところだと見つかってしまうかもしれない。連れ戻されるのだけは絶対にゴメンだ。
 なにげなく顔を上げて、灰色の空気に覆われた空を見上げる。
 生まれたときから、空は重く淀んでいた。

 灰色の町、エイル――
 この町はそんな通り名でも呼ばれている。

 なんて哀しい名前だろう。初めて聞いたとき、シオンはそう思った。
 しかし、たいへん名誉なことだ、と、大人たちは口をそろえる。
 国にたくさん貢献している証拠だ。
 そんな論理だった。
 いつか綺麗な青空を望みたい、と――シオンはいつも思う。
 子どものころから描いている、ささいな夢だ。
 いつかきっと、叶えられたなら、と。
 まだ、諦めるつもりはない。
『……ん?』
 何か、音が聞こえたような気がする。
 かたん、かたん。がたんがたん。ガタンッ――
 どこからか、近づいてくる。
 次いで、蹄の音、車輪の音、馬の鼻息。
 結果、至極単純な結論に落ち着いた。
『なーんだ、馬車かぁ。……そういや、ジドウシャっての、いま開発してるんだっけ。ホントにできるのかな、馬がついてない車なんて』
 ガタン。
 シオンは思わず飛び上がった。とんでもなく近くで音がする。
 ばっと横を振り仰ぐと、馬車はみるみるうちに視界全体に広がった。
『なっ……無茶だ!?』
 こんな狭い路地を馬車が通るなんて聞いたこともない。
 現に、ガリガリと屋根の側面を壁にこすりながら馬車は迫ってくる。明らかなサイズオーバーだ。
 ――どちらにせよ、止まる気はないらしい。
『もう、しかたないなっ』
 シオンは重なっている樽の上に乗った。踵に力を入れて、思い切り地面を弾き、五メートルほど上の古い小窓に片手をかけて宙ぶらりんになる。
 次の瞬間には足のつま先を馬車の上っ面が掠めていった。
 ほっと安堵の息をつくと、手を離して地面に降りる。
 足が少し痺れたが、それ以上に――

 目の前の光景に釘付けになった。

 馬車の、後ろの窓。
 遠ざかっていく窓のカーテンの隙間から、こちらを見ている人影があった。
 朱色の髪。毛先の軽いセミロング。
 深い翠の瞳が、見つめていた。
『……あ』
 しかし、それは閉じられたカーテンに遮られてしまう。
 現れた男は少女に恫喝したあと、その頬を手の甲で殴った。それでも態度を変えない少女に辟易したのか、荒々しくカーテンを閉じた。
 横暴だ。
 相手が目の前にいたらすぐにでも食ってかかっただろうが、あいにく馬車はただ走り去っていくだけ。
 そのまま馬車は遠ざかり、影も形も見えなくなった。
 静かだった路地は、さっきの修羅場が嘘のように、静まりかえる。
 シオンはとっさに手の甲で目をごしごしとこすった。
『あれは……』
 目は覚めない。夢でなかったらしい。
 ――警察だった。
 白い制服を着た、男。見間違いではない、確かに警察だ。
 どうして、警察があんな線の細い少女を捕まえていたのだろう。
 何か罪を犯したのだろうか。
 いや、ならば、あんな安い馬車で護送されるはずがない。鉄でできたもっと立派な護送車があるのだ。
 そもそも、あの少女に抵抗する意志はなさそうだった。
 それなのに何故あんなにも乱暴に扱っていたのだろう。
『…………』
 警察といえば、今も昔も子供のなりたい職業ナンバーワンだ。
 正義の象徴。憧れの的。
 それなのに。
『……あの子……』
 ひどく哀しそうに見えたのだ。
 泣いているようにさえ感じるほどに、翳った瞳は胸に刺さった。
 彼女は、悪いことをしたのかもしれない。
 きっと、だから警察に捕らえられたのだ。
 ――でも、あんなに哀しそうだった。
 あんなに理不尽に殴られる謂れはないはずだ。
 警察だからといって、女の子に暴力をふるっていいはずがない。
『よしっ』
 会ってみたい。あの女の子に、もう一度。
 会って確かめたい。この世界に対する、違和感の正体を。
 そうして自分が間違っていると思ったら――

 あの女の子を、助けてあげたい。

 閉塞された世界に、やっと一陣の風が舞い込んできた。
 この機を逃すわけにはいかない。
 態のいい退屈しのぎと言えばそれまでだけれど、それでも、冒険のにおいがした。
 昔、祖父の家で見つけた絵本のように。
 お姫様を助け出す勇者の気分だ。
 シオンは走り出すと、器用に路地を縫って躊躇いなく進んでいく。




 丘の上に聳える鋼鉄の監獄へ。

 


『さて、と!』 
 シオンは警察署の裏側の林へと回ると、ぐるりとあたりを見渡した。
 後ろのほうは比較的少ないとはいえ警備はしっかりと張り付いている。しかもここは刑務所と併設してあるため、塀の上部にはしっかりと有刺鉄線が張り巡らされているのだ。とても忍び込めそうにはない。
 シオンは侵入方法を考えながら、しげしげと味気のない直方体の建物を眺めた。
 彼自身、近くで警察署を見るのは初めてだ。
 シオンに興味がないはずはない。来れなかったのは、町の大人たちがシオンに口をすっぱくして言い聞かせてきたからだ。

 「あの建物にだけは近づくな」と。

 あまりに皆が真剣にそう言うものだから、シオンの好奇心もここへ足を運ばせるにはいたらなかった。
 子供の少ないこの町では、常に監視の目がついていたということもある。特にシオンは要注意人物だったため、警察署に近い家屋の住民は、みなシオンの動向に目を光らせていた。
 近いのに、遠い存在。
 犯罪者護送用の馬車が通り過ぎるときは目を逸らしなさいと教えられるほどに、住民と警察は疎遠だった。
 だからこそ、数少ないこの町の子供の憧れは募る。
 その露出度の低さによって、悪者をやっつける正義の味方というヒーロー像ができあがってしまったのだ。
『ほぇー……』
 シオンはそれほどの憧れを抱いた部類ではなかったが、ここに立つと、そう思う子供の気持ちもわかる気がした。
 警察署は、遠くから見ていただけでは信じられない大きさだ。
 町の工場なみだろう。
 うっかりぼけっと見惚れてしまっていたことに気付き、シオンはぶんぶんと頭を振った。
 そんなことをしている場合ではなかった。
 今日はいつものように当てのない冒険ではない。あの女の子に会うために来たのだ。
 そのためには、姫を守る兵を倒さなければならない。
 それが勇者の仕事だ――なんて、苦笑してしまう。
 シオンは木の陰から様子を伺う。
 勝手口であろう扉には、マシンガンを持った警備員が直立していた。その他に、歩き回りながら見回りをしている警備員がひとり。
 しかし、その他に警備はない。昼間ということもあり、手薄になっているのだろう。
 眺めているうち、見回りをしていた男がもうひとりに耳打ちをした。
 何かと思っているうち、見回りの男は片手を軽く挙げて、悪い、という仕草を見せながら、室内へ入っていってしまった。
 交代の時間だろうか。
 それとも用を足しにいっただけか。
 直立している警備員のほうは、変わらず元の姿勢で扉のそばに張り付いている。
 しばらく眺めていたが、待てども待てどもさっきの男は帰ってこなかった。

 ――ともあれ、チャンスである。

 シオンは一筋の光明に笑みをこぼした。勝手口に鍵がかかっていないことも確認できたのだ、残る問題はたった一つ。
 あの男をあの場から離れさせる方法はないか。
『よーし、近づいてみよ!』
 即決。
 数秒も思考することなく、シオンはこの町唯一の林に紛れて、警備員にゆっくりと接近した。
 あと三十――二十――十メートル。
 さらに足を進めようとしたとき、ぱきっと足元で音がした。
 飛び上がりそうなほど驚いたシオンは、とっさに地面に伏せる。後ろを見てみると、先ほど踏んでしまったらしい、真っ二つに折れた小枝があった。
 これ以上は危険か。そう判断したシオンは手近な茂みに移動して体勢を低くし、息を殺す。
 警備員に動きはない。
 まだ、動かない。
 ……さらに動かない。
『あれ?』
 しばらく様子を伺っていたシオンだったが、やがて違和感に気付いた。
 あれは警備員だ。
 いまは仕事中、定期的に不審者を見張らなければならないはず。
 しかし、彼はまったくそのような素振りを見せない。
 それどころか、不安定に首が前後に動いている。
 その様子は、シオンが退屈な説教を受ける際の動作と酷似していた。
『まさか……寝てるの?』
 思わず尋ねてしまったシオンはあわてて口を塞いだが、答えはないままだった。
 どうやら本当にぐっすりらしい。
 そろりそろりと入り口に近づくと、なるべく音を立てないようにゆっくりと扉を引く。至って普通の勝手口だった。
 気をつけていたはずなのにギシ、と音が鳴る。驚いてばっと警備員を振り仰いだが、幸い起きる様子はなさそうだ。

 いったいこんなことでいいんだろうか。

『助かったのはたしかだけどさ』
 首をかしげながらシオンは中に滑り込むと、扉を閉めた。
 中は、昼だというのに薄暗かった。高い位置に小さな窓が等間隔にあるのだが、方角が悪いため、日は射していない。コンクリートが打ちっぱなしの廊下はどこか寒々しかった。
 近くに道案内のボードのように便利なものも無いようなので、シオンは真っ直ぐに歩き始める。
 幸い分岐路はなかった。ひたすら歩くことにする。

 長い廊下だった。

 自分の足音が妙に反響する気がして心細くなる。
 靴音が響いて、それが廊下の端まで反響していく感じ。響いた以上の静寂が、向こうから押し返してくる――そんな、感じ。
 ふっと足元に目を落とした時だった。
『……?』
 見慣れないものがあった。
 角度を変えたら見えなくなるくらいのものではあったが、目ざといシオンは確実にそれを捉えた。
 ……細い光が走っている。
 床から十センチメートルほどの高さに横一線に引かれたそれからは、じっと目を凝らすと時々光が爆ぜている。
 なんだ、これは。
 しゃがんでまじまじと眺めてみたが、ますますわからなくなった。
 バチバチと音を立てている。
 この世界の光源なんて、ランプ以外にありえないのに。この光る線はいったい何だ?
 いつもなら興味本位で触れてみるシオンだが、今日は違った。
 本能的に危険を察知し、それを跳び越えて進むことに決める。よし、と掛け声で自分を励ますと、一気にそれをジャンプして越えた。
 が――
 それがいけなかった。

 ピィィィィ。

 突如として甲高い音が鳴り響く。
 ――ホイッスル?
 はっとしたシオンは急いで周りを振り仰いだ。そして、致命的な見落としに気付く。
 なんてことだ。
 あの線を境界にして、それより先の廊下には縦横無尽に光る線が張り巡らされている――
『いたぞ、侵入者だ!』
『っ!?』
 突如、眩い光に照らされた。
 ランプを手に持った警備員が入り口近くに立っている。あれは、外で眠っていた警備員だ。
 起きてしまったのか。あの光る線に触れたのが原因だろうか。
 わからないが、ホイッスルを吹いたのはあの男らしい。
 そうなれば応援が来るのも時間の問題だ。
『待て!』
 シオンは走った。
 廊下の先へ、ひたすら走る。見つかってしまった以上、もう『線』に触れようと関係ない。
 警備員の追ってくる足音がだんだん増えてくるのも、聞かなかったふりをした。
 気持ちが折れてしまってはだめだ。
 あいにく、シオンは町の子供たちとのかけっこ勝負で負けたことは一度も無い。
『逃げ出せなかったこともないんだからなっ』
 シオンは息を上げながら、それでも笑みを浮かべる。
 緊張と恐怖で心臓が早鐘を打ったが、関係ない。

 これこそ、小さなころから求めていた冒険じゃないか。

 ――走っているうち、十字路が見えた。
 チャンスだ。
 さっきから、警備員は追ってきているが、ランプの明かりは追ってこない。
 シオンの足の速さに、ランプを持ったまま追いかけるのは不可能と判断したのだろう。途中で、投げ捨てる音を確認している。
 絶好機だ。
 ここで撒こう。
 シオンは一瞬のためらいもなく左の通路へ滑りこんだ。
 遊びなれた野球の感覚がそうさせたのだが、結果としてそれは成功だった。
『やりぃ!』
 非常口。そう示された鉄製の扉がある。
 急いで中へ入り、ドアノブの鍵をかけた。その直後、ドアの向こうを通り過ぎる、慌ただしい足音。

 警備員たちが何事か大声で指示を出し合っている。すぐに足音は走り始めた。どうやら、十字路を四方向に分かれてシオンを探すことにしたらしい。
 静けさが戻ってくるのを感じて、背をドアにもたれさせながら深い息をついた。
 まさか、こんな早くに見つかるとは思っていなかった。
 伊達に警察はやっていないということか。
『ま、見つかっちゃったもんはしょうがないんだけどさ』
 シオンは近くの壁のフックに引っかけてあった携帯用ランプを手に取ると、そのまま真っ暗な階段を降りることにする。
 ここは地下へ降りる専用の階段だったようだ。
 入り口にあるランプの他に、それらしき光源はない。足元が危ないな、と思いつつ、シオンは思考を巡らせた。
 とりあえず、ほとぼりが冷めるまでは、どこかに隠れているほうがよさそうだ。
 いま出て行ったら確実に逃げ切れないだろうが、時間を置いて警備が少なくなっていれば、いくらでも逃げる方法はある。
 逃げ出すための計略なら、誰にも負けない。
 そうと決まれば、当初の目的であるあの少女に会うのが先決だ。
『長い階段……』
 ぽつりと呟く。
 もう何十段降りただろうか。まだ階下につかない。
 さすがにシオンにも少し不安の影が射す。
 さっきから、気味が悪いのだ。
 何も根拠があるわけではない。が――背筋を虫にざわざわと這い回られているような、そんな悪寒が走った。
 この先は、おかしな空気に満ちている。
 一歩一歩、踏みしめるたびに、犯してはならない何かを侵食している気がするのだ。
 いや、むしろ……侵食されているのだろうか。
 自分は何に恐怖しているのだろう。
 ぐるぐると取り留めのない思考に取り付かれたシオンには、早足になればいいのか、踏みとどまればいいのかすらわからなくなってしまった。
 冷や汗が目に入ったことで、やっと我を取り戻す。
『しっかりしろよ、もう……!』
 ぎゅっと固く目を閉じて、大きくかぶりを振る。
 決まってるじゃないか。
 あの女の子に会いに来た。戻れば、警備員が自分を探し回っている。
 なら、進むしかない。
 進むしかないじゃないか。
 今さら何をためらっているのだろう。
 意を決して目を開き、前を見据える。闇に慣れたのか、ぼんやりとあたりが輪郭を為していくのがわかった。
 心が少しだけ、落ち着いていく。
 さっさと抜けてしまおう――シオンは駆け出した。もう把握した階段の幅と段数を念頭において、ぽんぽんと飛び降りていく。
 もう、不安はつきまとわなかった。

  それは天使の水鏡――

『え?』
 シオンは思わず足を止める。
 遠くから、小さく、しかし凛と透き通る声が響き渡った。

  水は澄みわたり
  月のこえをきく

 歌……というよりは、詩のような言葉だった。
 詩に、節をつけて謳いあげているように聞こえる。
 ゆっくり、そろそろと、声に誘われるままに足を進めた。
 いつの間にか、階段はなくなり、地下の最下層にたどり着く――
 歩みは止まらない。
 この少女の声が、誰のものであるか核心があった。
 ならばそれを頼りに、道を進めばいい。

  風がなく
  ゆめゆめ忘れることなかれ……

 詩は続いている。
 ところどころ、聞き逃してしまったのを惜しいと思った。
 こんな美しい声を、いままで聞いたことがない。
 聴覚に全身の神経を集中させる。他の行動なんて、もう必要ないような気がした。
 子供のときに起こした微熱のようだ。
 思考と行動の間に膜を張ったように、体が不自由になっていく。
 声に、詩に、空気に。
 陶酔する。
『―――――?』
 ……カツン。
 音がし、何かが足先にあたったことを察知し、ゆっくりと下を向くのに数秒もかかった。
 足元で、からからからと余韻が響いている。
 ブリキのバケツか何かだったのだろうか。
 どうやら灯りのない廊下をふらふらと歩くうち、足で何かを蹴飛ばしてしまったらしい。
『……誰かいるの?』
 突然に、問いが浴びせられた。
 シオンは取り憑かれたようにぼうっとしていたが、その言葉で冷水を頭からかぶったように我を取り戻した。
 人の気配にも気付かないほど浮き足だっていた自分が信じられない。
 ――……何故こんなにも真っ暗なんだ?
 最初に浮かんだ問いはそんな取るに足らないものだったが、自らの手の内を眺め、途中でランプを落としてしまったらしいことを悟る。
 失敗だった……シオンはため息をついて、頭をかいた。
 これでは声の主の姿を見ることができない。
『あなたは誰?』
『シオン』
 特に意識せず、言葉がすべりでた。
 いつものおしゃべりがこんなところで役に立つなんて――シオンは少し、笑った。
『キミは誰? さっき歌っていたのは、キミ?』
『あなた、警備ではないの?』
『警備? あ、あ……そっか。全然違うよ。オレ、むしろ警備に追われてる身だし』
『追われてる……?』
『うん。さっきさ、馬車に乗った女の子を見たんだ。いっつもの立派な鉄の馬車じゃなくて、不自然なくらい普通の……』
 そこで少し言葉を止めた。
『――あれに乗ってたの……キミ?』
『そんなに抽象的じゃわからないわ。その質問の意味もわからないし』
『え、う、……えっと。見たのは……二時間くらい前、かな? 街の――わかる? すごく狭い路地で』
『……ならわたしだわ、きっと』
 それを聞いたシオンの顔にぱっと笑顔が広がる。
 どうやら無駄足ではなかったらしい。
『やった! オレ、キミとお話したいんだ。いい?』
『嫌』
『え』
『……どうやってここまで来たの。警備じゃないのよね、あなた』
『うんと……忍び込んだんだ。でも途中でバレちゃったから……追いかけられて、ここまで来た』
『呆れたものね……それなら早く逃げなさい』
『え、えっ? なんで!? せっかくここまで来たのに……!』
『少しは考えなさい。ここは警察よ。あなた、聞いたかぎりじゃ一般人でしょう。あなた個人でどうこうできる組織じゃないわ』
『でも! キミと話がしたいだけなんだっ』
『何度も言わせないで。不快だわ。出てって』
 少女の声はどこまでも冷たい。
 シオンはなおも食い下がろうとしたが、口論では勝てない気がして、やめた。
 その代わりに、少しだけの譲歩を申し出る。
『う……じゃ、せめて名前、教えてくれないかな。「キミ」のままじゃいやだから』
『拒否したら?』
『してほしくない。……絶対退かない。そのためにここまで来たんだから』
 間があいた。
 不思議な沈黙――
 理由はないが、この間に、警備が来るはずはないと思っていた。
 この空気を、打ち破れるものは彼女の言葉しかない。
『……あなたって、変な人ね』
『え?』
『弱気なくせに、強気だわ』
 声音は、少しだけやわらかかった。
『こっちへ来て』
『え? こっちって、何も見えないんだけど』
『もう少し……そうね、あと三歩前へ、そのあと二歩左へ。うん、それで正解』
『ほわ……って、痛ぅッ! なっなんだ!? なんかぶつかった!?』
 シオンは頭部に走った激しい痛みに頭を抱える。
 パントマイムのように暗闇の中で原因を探ると、それはすぐに指先に触れた。
『鉄……』
『ここ地下牢だもの、あたりまえでしょ。危ないから気をつけなさい』
『地下牢って――やっぱりキミ捕まってるのか!?』
『関係ないわ。……はい』
 急に頬に触れた冷たさにびくりと震える。
 指だった。
 氷のように冷たい指は、シオンの輪郭を確かめるように辿ったあと、何か細いものを首にかけた。
 すぐに彼女のそれが遠ざかっていくのが分かる。
 それがどこか心細いような、寂しいような気分にさせた。
 冷たさを追うように。
 首にかけられたものを指でなぞる。
『……これ…』
 首飾りだ。
『つけていたら、きっといいことあるわ』
『あ……ありがとうっ!』
 皮紐を辿っていくと、先に固い感触があった。
 石だろうか――
 さらさらしているが、指触りは滑らかだ。
 そして冷たいのに、ずっと触れていたい気持ちになる。
 更になでると、どうやら綺麗に加工されていることがわかった。
『あなたを導く力になる』
 ふたつの四角すいの底を繋ぎ合わせたような、そんな形だ。
『……さぁ、行きなさい』
 刹那、ぼわっと周囲の光景が浮かび上がった。
 突然起きた淡い光は、首飾りから――首飾りの先につけられた石から起こっている。
 しかも、重力を無視してふわふわと浮かんでいるのだ。
 シオンはぱちくりと目を瞬いて、そして前を見た。
『――――』
 うつろいながら現れる景色の中、甘やかな朱の髪が揺れた。
 紫水晶の瞳は、まっすぐにこちらを捉えている。
 ――ああ、そうか。
 シオンはひどく納得した。
 彼女には、観えていたのだ。
 観えていなかったのは、自分だけだった。
『……ありがとう』
 もう一度礼を言って、シオンは駆け出した。
 来た道とは、反対の方向へ。
 全部わかった。
 もう振り返る必要はないことを。
 警備のことを不安に思う必要すら、ない。
 全部、彼女の意志が込められたこの首飾りが教えてくれたから。
 道が照らし出される。
 そのとおりに、進めばいいのだ。
『あ』
 階段を三段飛ばしで駆け上ったシオンは、思い出したように一度振り向いた。
 どうやら、ずいぶん一心不乱に走っていたらしい。
 振り返った道にすら見覚えがないことに、驚いた。
『名前、聞き忘れちゃったな……』
 唯一の心残りが歩みを鈍くさせたが、やがてシオンは走り出す。
 一歩踏み出すたびに現実へと加速した。
 この、時間に直せば一時間足らずの出来事は、ほんの夢幻だったのではないかと思う。
 でなければ、いろいろと説明しきれないことが多すぎた。
 こんな話、子供でさえ一笑に伏してしまうかもしれない。
 天下無双の警察署への侵入、そして奇跡の脱走劇。
 何より、あの地下牢の不思議な少女――
 まるで夢物語だ。
 そりゃそうだ、自分の記憶にすら自信が持てないのだから、他の人が信じてくれるはずがない。
 でも、真実だから。
 理由は説明できないけど、自分の中であれは在ったのだから、それでいい。
 景気付けに、階段を上りきった先にある扉を勢いよく開けた。
 視界いっぱいに広がる昼の日差しが眩しくて、思わず目を細める。
 信じられなかった。
 障害物も何もない塀のそばに、警備の姿は影も形もない。
 まるで自分が来るのをわかっていて、それを見計らって去っていったかのようだ。
 侵入する時も思ったが、こんなことでいいのか、と思う。
 風が吹いた。
 巻き上げられる髪の隙間から、丘の下のエイルが見える。
 あんなにあの町は遠い場所にあっただろうか。
 あんなに、あの町は小さかっただろうか……。
 自分は、もう戻れないところに来てしまったのか、などと、取り留めもなく思った。
『……帰ろ』
 そんなことあるわけない。
 ぶんぶんとかぶりをふると、シオンは勢いよく丘を駆け下りた。



 真実は、ここに在る。
 全てはこの首飾りだけが、知っているような気がした。
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